38. ”短命という名の運命”

「運命の子」。 ”短命という名の運命” ”短い命を少しだけ長くすることの意味” ”短命だからと言って 子どもの命に意味がないと言うことは無い”  

すごくデリケートなコトを前に 躊躇する気持ちが有ります。 が、 あくまで個人的な考えとして 。 

この世に生まれて間もない幼子のこの先の ”短命” 。 長く年を重ねてきた高齢の人のこの先の ”短命” 。 同じようであっても 同じでない。 命の 重さ 長さ 比べようもない。 でも何かが違うと感じている。 何が違うのだろうか? 6/23日記に「 ”癌” 告知されても治療はしないと 決めてます。 今は・・・。」と書きました。 胃瘻もしません と考えてます。 先の希望の無い延命はしない この先の ”短命”を受け入れる。 と。 

「死にゆく人の心に寄りそう」玉置妙憂  1年ぶりに読み返した。

著者は 看護師と看護教員とケアマネと僧侶。 看護師であったとき 癌が再発した夫を看護 看取った。 夫はカメラマン 「やりたいこと」があると「治療しないこと」を選び 一切の治療を受けずに(拒否)他界した。 看護師としては受け入れがたい、 家族としても 治療しないという選択を受け入れることは 愛が無いみたいに感じる。 でも 夫の人生を私の価値で邪魔することは出来ない。 命に限りが有ると考えると 時間の使い方が質的に変わる。 死についての話をさえぎると 本人の死を受け入れるプロセスを邪魔することになる。 (自分の思いは 揺れるものとしても)相手の話を聴くのが大事。 日々 今日一日がどうだったか 小さな幸せを見つけて 後悔しないように生きることが 幸せな死に方につながる。と綴っている。

今はまだ シリアスは状態はないので 延命の意味 価値の考え 据え置きます。 「覚悟はできてません。 まだ」です。 

悲哀は突然やってくる 悲しみに対するリスクマネージメントなんて 出来ない・・・。