37. 気になる コ ト

気になるコト 「慢性的悲哀」

僕 結構 涙する 。 TVを観ていて 映画でも 本を読んでいて 人と話していて も 。 生きることに 一生懸命な人やコトに出会うと 涙腺が緩む。 でも 今まで かなしみに打ちひしがれ涙したことは (ほとんど)無い。 二十歳 母を亡くした時も。 その後も。 悲しみ 寂しさ 辛さをそれなりに経験しているが 「慢性的悲哀」の実感が ない。 今 悲しみや辛いことに向き合っている人 余命宣言を受けた人 その人の連れ合い ピック病の親を介護する人 そんな人たちに接する。 どのように言葉をかけていいのか 分からない。 かなしみや辛いことを乗り越えた人は どのように かなしみと 向き合っているのか どのようにしたら 逃れられるのか どのようにして 乗り越えたのか 。。

親は一生涯苦しみから逃れられない「慢性的悲哀」を味わうという学説がある

これって なんか 「慢性的悲哀」を否定的にとらえているように感じたんだけど、 なんか違うと 思う。「運命の子」を読んで 。 かなしみから 逃れてはいない 受け容れてもいない 立ち直ってもいない けど 生きていく。 『生きることの意味を深く追求するというよりも、今、こうして生きているのだから、その命を精一杯生きることが大事だと思います』と母が言う。 「慢性的悲哀」を肯定的に捉えているように感じる。 でもこれは考えても分からない 感情のコトなのだと 思う。

「親の障害の認識と受容に関する考察」と題する報告書から慢性的悲哀」の概念

わが子の状態が一時的なものではなく 将来にも及ぶことを認めるために、親は子供の発達が いつか正常に追いつくのではないか、あるいは自閉が「治る」のではないかという期待を 捨てることが必要となる。それまでは、親は否定と肯定の入り混じった感情の繰り返しを 経験せざるを得ない。普通になれないということを 受け入れるのは難しい。ショックを受け 泣きながら 立ち直り を 繰り返す。

いつしか。。。