二百24 認知症と決めつけないで

ボクは 認知症ではない かもしれない。 でも 緩徐な進行の始まり かもしれない。 

百84で 日記 「アミロイドPETの結果 ”陰性”」だったけど、 どうも??? です。

1分前のコトを 思い出せない。 あっそうだ メモしとこ メモを持った。 書くことを思い出せない。

毎年 内視鏡検査を受ける。 ボクのお尻に大腸カメラを入れる女医先生。 その女医先生の名前は、、、

現役の頃 スーツも靴もブランドを決めていた。 スーツは J.PRESS、 靴は、、、 

佐田啓二の息子 NHKサラめしのナレーションをやってる 好きな役者の一人。 その人の名は、、、

それなりの年齢の人は 誰でも経験する 「あ~ あの人 顔は分かるけど 名前 なんだっけ???」 

ふと用事を思いついて 立ち上がって 隣の部屋に行く 「あれっ 何しに来たんだっけ???」 

よく有ること 気にしない しない と思ってる。 でも その女医先生の名前は、、、 靴は、、、 その人の名は、、、 なんてことが 続くと さすがに 平気ではいられない。 

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血管性認知症以外の認知症は  認知症状の進行は ゆるやか と 言われている。 アルツハイマー認知症は ”WHEN?” ”WHERE?” ”WHO?”   の順に 記憶が おとろえていく と 言われている。  

認知症であろうが なかろうが 、、、 加齢とともに 目も 耳も 歯も 足も 手先も 飲み込みも 内臓も 心臓も そして 脳も まちがいなく 体の全てが衰えていく。 まちがいなく 心身の全てが 最期の時に向かっている。 「しょうがない」「あきらめ」でなく 『折り合い』を付けていく。

いろ色なモノ 色いろなコトを そぎ落として 身を軽くする コレを心身の終活 / 所作と 考えれば 

認知症と 殊更 決めつけて 恐れなくても いいんじゃねぇ と 思う。 

と 思うコトで 少し ココロの準備 覚悟が出来たように 思う。

認知症に対する意識の違いは 何からくるのか ずっと考えている。 

先も有り 生活も有る 生きるコトを考えなければならない若いひとは ひとところに留まっていられない。 老いのひとは 先行きのみじかさ 気力のおとろえ 期待されてないコト なのか? 覇気が感じられない。

未来に目を向ければ、いまの自分が ”い ち ば ん 若い”(森村 誠一)」こんな言葉を見つけたけど 共感するひと どのくらい 居るかな?