二百73 生きて行く勇気

【二百61 オランダ”記”】の末尾に【オランダのやさしい風に背 押され ”生きて行く勇気”をもらって 帰ります。】と日記しました。オランダを離れる前の日の日記です。 そして 帰国機上で 鴻上さん「孤独と不安のレッスン」を読みました。 全く同じ言葉 ”生きて行く勇気” 書かれていたのです。 本文ではなく ”文庫版あとがき” の文中に! かなり 胸がざわつきました。 ”生きる力” と言う言葉にが有りますが これとは 違って ”生きる力”が弱いとしても 誰でも持てる ”生きて行く勇気” 。

 ”生きて行く勇気” の他にも オランダで僕が感じた沢山のコト 僕の言葉では上手に言い表せなかったコトを 鴻上さんの言葉をお借りして 日記します。 

あなたが本当に息苦しく、中途半端に壊れた世間を生きるのがつらいなら、思い切ってこの国を出る、という方法もあると僕は思います。 日本は、驚くほど便利ですが、驚くほど息苦しい国です。便利さは、間違いなく世界一です。深夜のコンビニの品揃え、宅急便の時間指定での配達、地下鉄が同じ時間に数秒の誤差で停車する都市は世界にありません。 この便利さの裏には、息苦しさがあります。 ランドセルとリクルートスーツがなくならない限り、この国は変わらないと思っています。 入学の時、誰一人反対することなく、一斉にランドセルを買います。子ども達は何の疑問もなく背負います。 誰が決めたわけではありません。けれど、それに従わなければいけないのです。拒否することは、文化的にも習慣的にも地域的にも許されないことです。個性が大切だ、一人ひとりの可能性を伸ばすのが教育だと、いくら立派なことを言っても、一年生全員が無条件でランドセルを背負う国なのです。ランドセルの大人版が、リクルートスーツ。これから入っていく「世間」に対して、「私はそのルールに従います。自分の個性より今までの習慣を大切にします」という宣言だと思います。多くの学生が内心、反発しているはずですが、けれど、誰もやめようとしないのです。 

これを「同調圧力」と言います。「同じことをしなさい」「一緒になりましょう」という文化的・地域的・政治的圧力です。日本は、同調圧力がものすごく強い国なのです。「自尊意識」とは、「私はかけがえのない存在」「私はとても大切な私」とかの「自分を自分で大切にする意識」のことです。日本人は「自尊意識」がとても低いと、世界的に言われています。それは、この国のシステムと密接な関係があります。この国で育ち、この国で教育を受けることで、そうなってしまう可能性が高い。だからこそ、この国の中でぐだぐだ悩むくらいなら、思い切って、飛び出す方がいいと思ってます。それは、もちろん、バラ色の生活ではありません。苦しいし、つらいし、言葉の違いに苦しむ大変な生活です。でも、たぶん、苦しみがいのある、充実した生活になるはずです。  

以下は本文中に有った言葉です。補足的に日記します。

・「村八分」という言葉を知っていますか? 村の掟に逆らった人には、「火事」と「葬式」の時しか村の人は協力しないと言う意味です。「火事」と「葬式」が二分、残りの八分は無視して、口もきかないということです。それには理由が有ります。農作業は共同作業です。お米を作る時、一番大切な水は、共同作業でないと成立しません。自分だけが、水を独占したら、他のお米は作れなくなります。水路を村に引き、水の流れを作り、安定して水を確保するためには、村はひとつにならないといけなかったのです。この時の村の掟は、まさに、西洋の神と同じくらい、強く、怖く、圧倒的だったのです。僕たち日本人は、共同体が神だったのです。村の掟を守っている限り、生きる道を村は教えてくれます。武家社会も、商人の世界も、共同体がしっかりしていたのは同じです。世間を神として、日本人は生きてきたのです。

・親の問題は、判断の基準が「子供の気持ち」ではなく、『世間』だったということです。世間様から後ろ指を指されることは、とても孤独で、そして不安なので、親はとにかく、そうならないように細心の注意を払ったのです。親もまた、親なりに孤独と不安との戦いを続けてきたのです。 問題は、『世間』は、最終責任を取ってくれないことです。最終責任を取るのは、当たり前のことですが、自分しかないのです。

文庫版は 2011年2月の発行です。 もし2020年以降の発行でしたら 鴻上さんは「マスクはずし」のコト 追記されたかもしれまん。 

2か月ほどのオランダ滞在で感じた沢山のコト これからも折に触れ 日記したいと思います。 そして この先 僕が どう 変わって行くのか 僕自身 楽しみにして、 一先ず オランダ日記を終えます。