二百32 3つの「プロの発言」

この最近 3つの「プロの発言」に接しました。 

「寄り添って輝くデンマーク 幸せの認知症ケア」BS世界のドキュメンタリー。 老人ホームダウマスミネ」は 認知症などを患う老人たちが暮らしている。そこでの 死間近の人へのケアカンファレンス。「長い準備期間を終えて 人生を全うする段階にいる彼女は もう頑張らなくても良い 食事に関しても 食べたくないようなら その意向を尊重して欲しい」(でも 食事を置くだけで 食べる手伝いをしないのは辛い)「彼女は自分の意思を持っている それを尊重してあげたい 彼女は本当に介助を望んでいると?」(本人はどこまで分かっているかしら?)「見極めるしかない 私たちは彼女をずっと見てきたのだから プロの判断に自信を持つの」「本人の選択の自由を確保する事 それも 寄り添い だと 思う 辛くても 人間として またプロとして 事実を受け入れないと」。

スウェーデン認知症ケア。二百31に日記しました長谷川佑子さん。 日本で 看護師として 病院と特別養護老人ホームに携わり、 縁あって スウェーデンに渡り ウブサラ市立認知症ケアホームに シルヴィア王妃認定 認知症専門看護師として 責任ある立場で 認知症ケアに携わる。 「どうしたら そのひとが望む生活が 質の高い生活を整えられるかを考える」と 繰り返し話されていた。 その言葉の端々から プロとしての矜持と責任の自覚の強さを感じた。 

オランダに住む孫が通う学校の先生。 進路を決めかねている孫とその親(僕の娘ですが)に対してプロとして、そして、母親として意見を言うわね」と 前置きして オランダの教育事情を踏まえ 2つの選択肢と それぞれの利点/欠点 そして プロとしての意見を添えて 方向性を示唆してくれた。 その上で 孫とその親の決めた事を尊重する。 これからも 見守ってくれると良いな。 プロとして。

生死に関わるコトを強く自覚し その意思を尊重する、 そのひとが望む生活を叶えることを 一番に思いやる、 プロであると同時に ”ひと”として寄り添う。 3つの「プロの発言」に共通するのは 思いやりとプロの自覚と責任感。 自分の提案により生じたコト 結果を 自分の責任として受け止めてくれるという思いが 強く感じられる。 長谷川さんの話を聞いて、老人ホームで働いていた時「どんなに頑張って介護しても その結果は ”死”でしかない その結果を受け止めきれない」思いが有ったことを思い出した。 でも それは 自分のQOLを求めていた(自己満足)のであって そのひとのQOLを考えていたのではなかったと 気づかされた。 

「私はプロだから・・・」は(私の言う事を聞いていれば間違いない)であり、その根拠は 話してくれない(説明責任と言う”言葉”は有るけど)。 そして 何かが起こった時に 責任を取るかとなると 言を曖昧にする。 日本の専門家は 自分の考えを言うだけで 相手の思いに至らないひとが多いように思っていた。でも つい最近 本当に本気で プロとして 相談者のコトを思って行動してくれる 専門家に出会った。