二百25 支えてくれなくて いい!

f:id:wakasan1214:20220215111652p:plain 2/12  NHK TVシンポジウム「認知症 地域で折り合う」

認知症の医療とケアの実践がはじまって約20年。いま、当事者と家族はどのような日々を過ごし、どういった支援を求めているのか…。コロナ禍を経て激動する社会の中で、今改めて認知症とともに生きる”共生”について考えます。あなたが認知症になった時、どう生きますか?認知症の人の言葉」~思いを読み解く

f:id:wakasan1214:20220215112442p:plain大牟田市(2002年 徘徊SOSネットワーク)
大牟田市では、行方不明が発生した際に関係団体へ迅速に情報提供できる仕組みがあります。警察からの情報を愛情ねっと等を使い小学校区のネットワークや近隣市町、市民等へ発信します。広く情報提供することで、行方不明者の早期発見・保護に努めています。  この仕組みを総称して、ほっと安心ネットワークと呼んでいます。

認知症の人を支える・・・、 ”支える”が 余りにも前に出過ぎてしまって ”見張られてる感”。 認知症の人は これが煙たく 押し付けられてるようで 忌避したくなる。 徘徊SOSネットワークの曲がり角

認知症メガネで見る。 認知症は、が主語で 前提で 全てが語られる。 見守りが 見張りになり、 認知症のひとは 自分は心配される(ダメな)人間なんだと 思わされちゃう。 専門職は(知らず知らずのうちに)見守ってあげなければと思い込む。ではなく「見守って欲しい時が 有りますか?」と 気持を聞かなければならないのに。 

 ”共生社会” なんでも 枠に嵌め 言葉にまとめる。 共生社会なんて言う必要のない社会。 認知症でも困らない社会は・・・不便は無いけど 楽しいことも 無い。 不便でも良いから 楽しいことをさせて。 認知症の人も 自分で出来ることは 自分で行ない 出来ないことは お願いする それが普通と思える。 そうすれば 自然に共生になるでしょう。 受け入れて 理解したうえで 変えて行く。 認知症~地域で折り合っていく。 生きる意味 認知症じゃなくても生き方に悩む 困ることもある バリアは除く(癌細胞~手術で除くように)だけではなく 折り合いをつける。 折り合いをつけながら 生きていく。 

専門職と言われる ”介護者” ”医療従事者” ”研究者” は、 byplayer でしかない。 当事者では ない!!。 認知症のひとの 生の苦しさ 本当の辛さは 分からない。 分かったつもりになっているだけ 本当の辛さは 分からない。 分からない。。 分からない。。。