81. 脳科学者の母が、

f:id:wakasan1214:20201101004255j:plain 脳科学者の母が、認知症になる」恩蔵詢子 

母が65歳で、アルツハイマー認知症と診断された。診断の前後、初期の頃は、私たち家族にとって一番辛い時期だった。進行性であること、治す薬がないこと、ネガティブイメージによって、「母はいままでとは別人になってしまうのか」とおびえていた。脳科学者なのに、何故こうなることを防げなかったのか、自分は一体、何のために脳の知識をこれまでつけてきたのか、と悩みもした。

アルツハイマー病初期認知症のほとんどの人が、自分の症状に多かれ少なかれ自覚的だった。自分の状態に対する心配や不安を口にした。自分が一番傷つくことは、人前でミスすること、家族に認めてもらえないこと、家族が自分の代わりに全部やってしまおうとすること、だった。そのことから、自分が無能であると感じ、自我が傷つけられ、脅かされていた。そのように自覚的だから、失敗を隠し、とりつくろっていた。第三者はこのつくろいをみて「自覚がない」と判断するが、自覚が有るからこそ、必死で自分を守ろうとしたのである。妙な作り話が増えるのも、時に、無神経、無感覚のようになるのも、必死で自己を保とうとしている証なのである。 「初期」の人々は、海馬以外の脳部位が比較的正常に働いており、感情的な危機に立たされている。自分の症状にまだ慣れておらず、戸惑うことがある中で、他者の反応は正確に読み取ってしまう。記憶以外は正常だからこそ、いたたまれない、耐えられない。

母に対して 認知症という病気になったけれど、私たちは「 変わらずあなたと一緒に歩いていくよ というメッセージを送った。

私が色々と指示をしないで、自分で作業に没頭できていると、母は謳う。「今これをやっているのは私だ」という感覚は、人間の幸福に重大な影響をもたらす。「自分で物事が決められている」という実感は大切。 施設の職員が「私たちが責任をもって・・・」と、本人の希望を整えてしまうと、結果として「本人の希望通りになる」かもしれないが、「自分で責任を持てる」場合に比べて、幸福感や活動度が著しく低くなってしまう。「希望通りになること」が大事なのではなくて、どんなに小さなことでもいいから、失敗してもいいから、「自分に選択の余地があって責任を持って生活できること」が、幸せを感じ、活動的になる秘訣なのだ。 認知症では、家族以外のたくさんの人にかかわってもらって、本人も含め家族一人ひとりが自分自身の時間を作ることは、とても大事だ。家族だけの密閉空間で、深く依存し合った関係になるのではなく、本人も家族も、外部の人との関係を持って、友達に数時間でも外に連れ出してもらえれば、本人は「家族に自分のことが管理されている」という気持ちから解放されるだろうし、家族の方も自分の人生をちゃんと進めている気持ちになれる。私は、母の友人たち、近所の方々に病気を徐々に伝え、沢山の助けを得ている。 負担にならない範囲で自分にできることをすればいい。 海馬が傷ついていても、新しく学べることはある。言語では忘れてしまっても、体の方はしっかり学習していることがある。「その人に親切にされた」ということが、確実に、また一つ蓄えられているのではないか。新しい物事の「記憶」には確かに問題が起こるが、新しい物事に「感情的反応」をすることはできる。 

認知症を見つめて暮らすということは、最初に思い描いたような怖いだけの体験では全くなかった。理解力が衰えてなお、残っているものが、母が人生の中で大事にしてきたものではなかろうか、と 私は母という人を新しく知りなおしている。  ・結局 母は生涯、母なのだ。