三百62 富岡製糸場

 

富岡製糸場は、明治5年(1872)に明治政府が設立した官営の器械製糸場です。民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。また、田島家、高山社、荒船風穴などと連携して、蚕の優良品種の開発と普及を主導しました。和洋技術を混交した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨煉瓦造の2棟の置繭所や繰糸所など、主要な施設が創業当時のまま、ほぼ完全に残されています。

富岡製糸場は、1893年明治26年)に三井家に払い下げられ、1902年(明治35年)に原合名会社、1939年(昭和14年)に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年(昭和62年間)に操業を停止するまで、一貫して製糸工場として機能した。 片倉工業富岡製糸場の歴史的・文化的価値を重視し、原型のまま後世に残すことが重要であると考えていました。そのため、1987年の操業停止から、2005年までの18年間もの間、現地に管理事務所を設置し、「売らない」「貸さない」「壊さない」の姿勢で建物の保全管理に努めました。そして、2005年には、富岡工場(現:富岡製糸場)の建物等を富岡市に寄付しました。

幾多の変遷を経て、平成26年(2014年)6月「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された。 時々 さいたま新都心コクーンシティ」の映画館を利用してます。 大宮の高校に通学していた頃、あの辺りに「片倉工業」が有ったことを思い出して、片倉~繭(コクーン)➡「コクーンシティ」と繋がることに気付き、そして更に 世界遺産富岡製糸場に繋がった! 思わぬところで 富岡製糸場身近なものに感じられた。 明治維新からほんの5年、ちょん髷からザンギリ頭に変わってたった5年、大混乱と混沌、ロシアや清国や他の強国からの脅威を感じながら富国強兵に努めた あの頃の日本。 本当に大変な時期に よく造ったものだ(歴史って 面白いなぁ)