2百14 ケアマネ諸氏へ

 
ケアマネージャーという存在について、ご存知だろうか。Wikipediaによれば「介護支援専門員(ケアマネージャー)は、介護保険法等を根拠に、ケアマネジメントを実施することのできる資格、また有資格者のことをいう。要支援・要介護認定者およびその家族からの相談を受け、介護サービスの給付計画を作成し、自治体や他の介護サービス事業者との連絡、調整等を行う。」とある。私のような「要支援・要介護認定者」からすれば、介護に関する困りごとや要望があれば必ず相談しなければならない相手である。
私にも担当のケアマネさんがいる。彼女は仕事に一生懸命な人である、という印象を私は持っているのだが、困ったことにいつも全体に話がぼけていて、主語や前提などをすっ飛ばして説明するので、専門知識に浅い私には何とも話がわかりづらい、とは言え必然、ケアマネさんとの話は私自身の生活や命に関わる内容となるため、イマイチ曖昧な物言いの彼女に対して私はいつも詰問調になってしまう。彼女は私の顔を見るのもウンザリであろうと想像するが、いくら嫌な顔をされようと(実際には彼女は、仕事とはいえこんな私に対して常ににこやかに接してくれる辛抱強い人である)、私の担当になってしまった不運を嘆いてもらうしかない。
そんなケアマネさんと話をしていてしばしば気になるのが、その言葉遣いである。制度や介護体制に関する、私からのちょっとした質問や要望に対する回答として、ケアマネさんからうるさいほど繰り返される決まり文句がある。「役所が認めてくだされば」「事業所に受け入れていただければ」
おいおい。なんで、そんなにへりくだるの?なんだかすごい疎外感。屈辱的で情けなくなってくる。それに、へりくだっているのは発言者であるケアマネ=彼女自身ではない。彼女によっていつの間にかへりくだらされているのは、私なのだ。いつの間にか私、身分不相応なことを請い願っている女みたいになってるじゃん…何も私は特権的で荒唐無稽な要望を行政や介護事業所に無理くり認めさせようと駄々をこねている訳ではまったくない。一市民として、介護保険制度に基づくルール通りの福祉サービスを利用したいという、ただそれだけの相談を相応の相手にしたまでである。「認めてくだされば」「受け入れていただければ」「認めてくだされば」「受け入れていただければ」
うーん。私は、そんなに“在らざるべき”、人以下の存在かね?平身低頭して周囲に許しを乞い、認められ、受け入れられないと当たり前の日常を手に入れられないような、人外の存在なのかね?繰り返し言うが、私がケアマネである彼女に相談をしているのは、法律で定められている介護保険制度の利用に関することである。被保険者である私がこれまでずっと納めている保険料に対し、制度の利用を当然に求めているだけである。それなのに、なぜこれほどまでへりくだらされなければならないのか。わかっている。わかっているよ。いつだって「そんなつもりはない」んだ。きっと業界的ないつもの言い回し、ちょっと耳にするだけなら、よくある丁寧な言葉遣い、といったところなのだろう。しかし私はまったく気に入らない。大いに不愉快である。なぜ、私はただフツーに生きたいというだけで、こんなにも一方的かつ自動的にへりくだりまくらされなくてはならないのだ?「役所が認めてくだされば」「事業所に受け入れていただければ」「役所が認めてくだされば」「事業所に受け入れていただければ」

われわれ要介護者は、そうした言葉を福祉の専門職から繰り返し吹き込まれることで、まるでわれわれ自身が、頭を下げ社会に「認めて」もらい「受け入れて」もらってやっと居場所を与えてもらえる程度の価値しかない存在であるかのようなイメージを、いつの間にか頭の中に刷り込まれてしまっているのではないか。われわれ要介護者は、こうした言い回しや態度にあまりにも日常的にさらされ続け、われわれ自身について、地べたに額を擦り付け頼み込んで辛うじて「生きさせていただく」だけで御の字で、人生の充実や生活の質の向上などを求めるのはもっての外、まるで手がかかるだけの迷惑でしかない社会のお荷物、厄介者であるかのように、思い込まされ信じ込まされてしまっているのではないか。数多ある言葉の中からわざわざその言葉を選び出して繰り返し使う、という行為の裏には、言葉を発する側のそれなりの意図がある。たとえそれが無意識のものであったとしても。いや、無意識だからこそより悪質で恐ろしいのだ。彼女が特殊という訳ではまったくなかろう。きっとああした言葉遣いに違和感のない感覚が、日常が、世界が、彼女をして私をこれでもかとへりくだらせる。われわれ要介護者は権利の主体である。恩恵により「生きさせていただいている」存在ではない。われわれが絶対に許してはならないものとは、何か。われわれが徹底的に抗わねばならないものとは、何か。  

ケアマネは 事実を きちんと 正確に伝えること! 大事な仕事の一部です。 と 思います。