40. 相談ごと

 玉置妙憂さんの著書から(黒字) 

判断に迷ったとき 不安になったとき、相談できる人がいないのです。 必要でありながら手に入らないのが、真に相談できる人なのです。

相談したいコトが有って まず身近の人に相談しようかな?って 考える。 自分がこうあって欲しいと思うコトを応えてくれそうな人? 直接的に影響ある人は ちょっとまずいかな? こんなコト相談して 「えぇっ」と思われないかな? だったら 全く知らない人に? 電話相談? とかとか 考えます。

7/1日記しましたが 相談を受けるのも 悩みます。 介護相談 その人その人によって異なります。 全てのコトに通じている訳ではありません。 「あなたに 私の苦しみが分かりますか? あなたに 心の痛み 有りますか?」って 言うほどの辛さを抱えて相談されてくる方に対して 。  

技を使い、技術で話を聞こうとすることは、死にゆく人にはふさわしくない。いえ、ふさわしくないというよりも、技術で聞くコトなど出来ないのではないかと思います。無力な、裸の人間として、死にゆく人に対峙するのは、怖いことです。鎧を着ず、技術で身を守らずに、死にゆく人と向き合いたい。「怖い」と言われたら、震えながら「何が恐いのですか?」と尋ねたい。私は、そのように思います。 

相談は ビジネスになじまないと 考えてます。 応談への真剣さと信頼の担保として 責任を伴うことの裏付けとして そして 無料と言う事により双方に遠慮が生じる 等々の事から 対価を得ることも考えました。 でも 僕の活動は 無料が相応しいと考えてます。 お金が絡むと そのための力が働く 意思を曲げてしまう 配慮(忖度)してしまう、 良くも悪くも。。 2人集まれば組織、 組織の力に斟酌したくない、組織の力に頼りたくない。 ですので 僕一人の限られた力です。 多くのコトに応じることが出来ません。 ですので 「 Pro bono ケアマネ (専門性を活かした社会貢献)」ボランティアします

看護師として伺うときは、看護師としての仕事をしつつ、合間に 訪問看護の時間内/料金内で 患者さんの話を聞くのです。 臨床宗教師(僧侶)として伺うときは、時間に規定はなく、どれくらい居るかは 患者さんの希望や体調によって決まります。看護師として伺うときよりも、じっくりお話を聞くことができます。話しても良い相手がいると思うことで、少しでも楽になるのであれば、私はそこに居たいと思います。