百79 ライオンのおやつ

ぼくは   ひとに   もっと   やさしく なれる  (2014年9月21日)と 思ってた

ボクは   ひとに    「老化 受け入れましょう」と    (2021年8月17日)と 言ってた。

NHK「ライオンのおやつ」放映されました。 とっても とっても やさしい 物語。 

f:id:wakasan1214:20210817225826p:plain【癌になったことで気づけたこと。それは、健康であることのありがたみや、お金のありがたみや、友人たちが周りにいてサポートしてくれることのありがたみだった。あって当たり前だと思っていたものが、いかに貴重な存在か。確かに私は、そのことを癌になってから思い知ったのだ。】

【死を受け入れるなんて、そう簡単にできることではなかった。私は自分で、自らの死を受け入れたつもりになっていた。でも、そうじゃなかった。そう思うことの方が自分にとっては都合がいいから、受け入れようとしていたのだ。確かに外堀は埋まっていたけれど、肝心のここ、私自身が、私の心が、死を受け入れてはいなかった。私はホスピスに入りたいから、その方が楽で都合がいいから、死を受け入れたふりをしていたのかもしれない。でも本当の本当のところでは、まだ死にたくない。私は、もっと生きたい。】

【人生というのは、つくづく、一本のろうそくに似ていると思います。ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら、自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないんです。】

小川糸さんの本を 手に取りました。 もう はじめから 涙をひとつぶ よういして 読み始めました。 読み終わって 涙が ひとすじ。 とっても とっても と~~っても やさしい気持ちに なりました。 

瀬戸内にある ホスピスに 行こっ!

ぼくは   ひとに   もっと   やさしく なれるかなぁ   (2021年8月17日)

百78 「贈った言葉」

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障がいが有り 生活していくのに少し不便が有る人たちに「贈った言葉」です。 

赤羽・桐ヶ丘にお住まいの皆さまのお役に立ちたいと思い 毎日がんばっている ボクの大事な仲間です。 商店街や道路のお掃除 カフェレストラン「長屋」での食器洗い 無料休憩所「あかしや」でのお茶出し お近くにお住まいの人へ夕食弁当のお届け などなど お手伝いをしています。(今 コロナで一部お休み) 

ボクが辞める時 年末の寒空の下(コロナで3密回避のため)輪になって みんなが言葉を寄せてくれました。 笑顔で送ってくれました。 その時のお返し「贈った言葉」です。 

今も 「一寸亭」を開亭していると 声をかけてくれます。 一人ひとりに ”思い” があり とても楽しい仲間です ❣ ❣ ❣  ”障害” と言うコトは 透過しちゃってる 仲間です。

百77 書くこと。生きること。

 

f:id:wakasan1214:20210814233422j:plain ブログ「書くこと。生きること。」 

まず拾い読みして 次に全部読み通して 気になるブログをコピーして 38881文字を 読む。 

さとうひろみさん(初回 2020.08.25 から

「今の私にとって、書くことは生きることそのものであるし、書いたものは私の生きてきた証でもある。書くために学び、書くことでしか、現実に目を背け狂気に逃げ込もうとする自分を止めることはできない。 私は確かに生きている。私の幸せな時間は書くことと共にある」。 

これ以上 ブログの中身を切り取るコトはしない(できない)。 このブログから ボクなりに 認知症や障害のあるひと 家族の人たちの思い を思い、 安楽死尊厳死への思い も。 

この人の前では ボクの覚悟なんて 色褪せてしまう。 ボクの力なんて うすっぺらい。 でも 色褪せても うすっぺらでも ボクの出来ることを ボクはやって行く。 求められるコトの 万分の一でしかない     としても 。

 

岡部宏生さん 48歳発症 

「『生きる』にはふたつあると考えています。ひとつは生きることそのものです。もうひとつはその生存の上に立って『どうやって生きていくか』ということです。ときとして人間は、ひとつ目の『生きる』を忘れてしまいます。『どうやって生きていくか』だけで価値を断定しがちですが、まずは生きることそのもの、生存していることがその前提にあるのです。生存こそが『尊厳』であることを考えてほしいです」

NHK福祉情報サイト ハートネット https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/527/

【特集】生きたいと言える社会へ(3)京都ALS嘱託殺人事件から1年 “あなた”に会う旅

百76 おりんぴっく M I P

僕の Most Inpression Person 内村航平f:id:wakasan1214:20210808171730j:plain

50キロ競歩 銅メダリスト エバン・ダンフィー(30=カナダ)

「有名になりたい、金もうけをしたいからやる競技ではない。みんな友人で一緒に苦しむ。我々の体は何が可能なのか、それを知るためにやる。目標を定め、困難に直面し、乗り越える。レースそのものが人生の価値として表現される。50キロの選手は素晴らしいロールモデル

銀メダルのヨナタンヒルベルト(26=ドイツ)

「スーツを着ている世界陸連、IOCの人たちはアスリートと話をしていない。我々には意見を述べる機会が十分になかった。50キロは最も長くて厳しい競技」。 

これは 50キロ競歩の選手だけでなく オリンピックに参加した全選手 そして オリンピックを目指して頑張った選手 そして オリンピックを支えた全ての人たち そして その人たちを応援した人たち そして そして オリンピック開催に反対の思いも有った人たちの心にも有る ”思い” と思います。 

コロナさえ無かったら・・・。 あの人も好々爺のままで 終えるコトが出来たかもしれません。 オリンピックによるコロナへの影響 マイナスなコトは たくさん有ります。(運営上でのいろいろなゴタゴタ 批難されて然るべきコト、これらを無かったコトには出来ませんが)。 でも 全身全霊で頑張る選手から コロナ感染への恐れを抱きながらも 選手たちを支えたボランティアの人たちから 受けとった ”力”も たくさん沢山 有りました。 

感染者が爆発的に増え続けています。 開催には懐疑的です。 でも でも でも パラリンピックは 開催して欲しい。 全ての頑張っている人に 敬意を表します。 そのために為すべきコト やります。

百75 にんちしょう アミロイドPET

東京都健康長寿医療センター「脳神経内科の研究」参加

今回 参加を希望したのは、認知症の不安が有るコトと、アルツハイマー認知症の原因物質である ” Aβ アミロイドベータ ” の蓄積を確認し、 それが認知症へと進行していく過程を 自分の身をもって認識し 認知症の人への応対が より現実味をもって出来るのではないかと 考えたからです。(不安もありながら) 

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PET(陽電子放射断層撮影装置)検査。体にPET診療用放射性薬剤(フルテメタモル)を注射。投与後約90分で検査薬が異常蛋白(アミロイドβ)と結合する。その後、PET装置にて頭部を撮影し、脳内の異常蛋白の蓄積をカラー画像で診断する。認知障害の発症前に異常蛋白の蓄積を画像化することで10~20年後のアルツハイマー認知症のの発症予兆を診断する。

・PET検査は、放射性を含む薬液を体内に注射することでのリスクが有るコトを了解し、 同意書にサイン。

・採血と同じ要領でNsがセット、Drが最終確認をして薬液を静脈注射、その後90分ほど安楽状態で過ごす。

・PET装置内で 体全体を帯状ベルトで固定され かなりのストレス。30分ほどの検査、「寝てましたよ」。

・検査の結果 陽性者は20%ほど。陽性の場合は継続し 治験等に参加していく。

コーディネーターの方と話しました。

・既存の4薬は “進行を遅らせる”と言われているが 「アミロイドβに働きかけるの観点からすると効果は 無い。 脳の別の細胞を刺激する効果は有る。 保険適用は日本だけ、欧米では保険適用を撤回した」。

認知症は “早期診断/早期絶望”と言われているが 「現状では、治療法も治療薬も無い。ただし 診断は介護サービスを利用するために必要となり、 ご家族の納得のために 診断を求めてくる場合が有る」。

認知症の予防は? 脳トレの効果は? 「ウオーキングでふくらはぎを刺激する事が良いと言われている。睡眠も大切、睡眠中に老廃物が排泄される。 脳トレは効果無いけど、やってダメなことも無い 程度の事」

・癌で闘病中の友人に ・癌・認知症・障害のうち 選択出来るとしたらと 聞いた。 友人は「死も生も 自分に選択肢が有るので 癌」と。「癌になって人々の有難味を知って 幸せだ」と 言って 逝った。

百74 原爆忌 祥月命日

f:id:wakasan1214:20210806162525j:plain 八月六日 76回目広島原爆忌 53回目祥月命日 

昨年も同じことを日記しました。 その後に ボクの身近な人が「原爆手帳」をお持ちな事を知りました。 広島で 被ばくされた。 外見上 そのご様子は分からないのですし おくびにも出されませんでしたので 気がつきませんでした。 ご主人を亡くされ 今は 娘さんに 厳しく(ご本人曰く)世話されているとのコト。 時々 一寸亭に来てくれます。 

今日 母の 百2歳の誕生日 お祝い出来ましたね。 人生100年時代と言われる今 当時の医療が 今ほどであったならば 。 

NHKテレビで「大地の子」の再放送をしてます。 僕の両親は 満州 大連でしたの 内陸からの人たちに比べれば 引き揚げの苦労はそれほどでもなかったのか、、、? 僕の兄と姉は 大連生まれです。 兄は 今でも 引き揚げの時に 父が背負っていたリュックサックを 大事にしてます。 

生前 父が言ってました。 『それまでの生活が リュック一つになってしまって 小さな子供二人連れて帰るのは 大変だった。 それでも 兵隊に取られず 一緒に居たので みんなで帰れた それだけでも良かった』。 舞鶴港に上陸 父の実家に身を寄せ そこで 僕は生まれた。 72年前です。