三百97 ボランティアの本質・意義

【ボランティアの本質  意義】。少し長いですが転記させて頂きます。

週末にHIVの病院でボランティアしている企業の弁護士。「ボランティアは ダイレクトに誰かの役に立てる。 企業の弁護士は、企業の役に立つけど 人の役に立つとは限らない。 書類やコンピューターを相手にして仕事をしていると人間を相手にした仕事がしたくなるんだ。 人間の仕事というか 人間にしかできない仕事がね。 人間をケアする行為は、人間でない者には ロボットには できないんだ。 ケアというのは ケアする方とされる方、双方の人間がいてポジティブな精神的電波が生まれる。病院室を回るとき 僕たちはそこにいる人々に声をかけるよね。 相手から答えが返ってきたら嬉しくなるときがないかい? ああいう嬉しい気持ちは 僕がしている仕事では味わうことが出来ないんだ」。 と 彼らは言った。

私が思うに《彼らは ものすごくボッシュ(上流階級)だった。 明日の生活の心配などまったくしなくていい 見るからに裕福で高学歴の人々。彼らの言葉に「鼻持ちならなさ」も感じとれる。 本当にすべき仕事だと思うなら それを生業にしてみればいいではないか。 自分たちは高収入の仕事を持って 何不自由ない暮らしをしていながら 時々お遊び程度に末端ケアの仕事をやってみる、そして 『人間が本当にすべきなのはこういう仕事』とか言って 高級レストランで遠い目をして感慨に浸っているんだ》

そして、私自身が ボランティアを通じて思ったのは《あの病棟で感じた嬉しさは、たとえるなら 自分が投げたボールを誰かがまっすぐに投げ返してくれたときのものだ。 それだけのことなのに その瞬間が際だって特別な気持ちになるんだ。弁護士や投資家は、誰かに 直接ボールを投げることなんてない。 間に人が入って中継ぎされるのが常識なのかもしれない。 それは相手からボールが戻ってくるときにしても同じことで、すぐには帰ってこないだろうし 方向だって微妙にずれたボールを投げ返すのが常識なのかもしれない。 まっすぐ相手に投げ返すのはバカっぽいし 無防備だから。 HIV病棟は、究極に無防備な場所だった。 なにしろ本当にどんどん人が亡くなっていくのだ。 泣いている人、怖がっている人、悟りを開いた人、やけになっている人、どうしたらいいか分からなくなっている人。 無防備きわまりない状況にある人々と働く現場では、気取る必要も 自分を強く見せたり賢く見せたりする必要もない。 そんな場所では 率直な言葉が発され まっすぐに飛び交う。 人から言われたことがストレートに嬉しく感じるのは、その言葉を信用できるときだ。 無防備な現場で発される言葉は信用できるし  人を無防備なぐらい嬉しい心情にさせるのだ》。 

僕は、ボランティアって 自分に余裕がないとできないと思っている。 でも、そこから得られるものは とっても大きくて、 自分にとっても とっても大きな糧になる。 そこでせめぎあっている。 ボランティアの意義を。 いまも 考えている ずっと考えている。