僕は 自分の言葉のつたなさを思うとき ほかの方の言葉を お借りします。
小椋 佳 今年で引退されます。布施明の「シクラメンのかほり」を日比谷公園野音に聴きに行ったことを思い出します。もう45年前のコトです。
「愛しき日々」
風の流れの 激しさに 告げる想いも 揺れ惑う かたくなまでの ひとすじの道 愚か者だと 笑いますか
雲の切れ間に 輝いて 空しい願い また浮ぶ ひたすら夜を 飛ぶ流れ星 急ぐ命を 笑いますか
愛しき日々の はかなさは 消え残る夢 青春の影 気まじめ過ぎた まっすぐな愛 不器用者と 笑いますか
「ひかれた2本のレールの間を行き来するけど 決してレールの外には はみ出ない」「直球しか投げない たまには変化球も投げないと人の幅が広がらないよ」「もう少し素直になれば 良い様にしてあげられるのに」って言われて 『 結構です 』。。。 (聞く耳 持たなかった)
でも でも ホントは 迷うことばかり 二者択一 どっちの道が良いのか分からない 選べない でも選ばなければ。 あっちの道の方が良かったと思うことも たくさん。 本意ではない道であっても 歩き始めると その道だからこそ得られたと思うことも たくさん。 回り道はあっても 無駄な道は一つも無かった。 今 僕が新たな道を歩みだせるのも そうして選んできた道が有ったから と 今 思う。 今 思える。
高校卒業して 建設会社に入って そこで味わった “ざせつ”。 外に向かって何かを求めた。 自分を必要とする場所 “居場所”が有るのではないかと 。。そんな どうにも どうしようもない時 彼からの電話。 今でも “神の啓示” と思っている。 それから 少し 自分の時が ゆっくりになった。 気がする。
今 時は どんどん早くなっている 何かに追い立てられるように 利便性を求めて。 ホントは ゆっくり歩きたいと思っている人も 人波に押されていく。 ゆっくり歩くコトに 勇気がいる。
今 そんな時だから もう少し時が・・・ 僕に出来るコトは 寄り添い 一緒に歩みます。