二百38 「居場所」=「ゐどころ」

居るのはつらいよ  医学書院 

著者は東畑開人さん 京都大学大学院博士課程修了 沖縄の精神科クリニックに勤務。 この本はその4年間のデイケアでの ”出来事”を綴ったもの。 専門書のつもりで読み始めたら小説の様 でも やっぱり 専門書 いくつか気になる言葉が有った。

居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書。

・「居場所」を古い日本語では「ゐどころ」と言ったらしい。 この「ゐどころ」の「ゐど」には「座っている」という意味があり、さらには「尻」という意味があったことだ。 居場所とは「尻の置き場所」なのだ。 尻とは、自分には見えなくて、コントロールのするのが難しくて、カンチョーされたら悶絶してしまうような弱い場所だ。 そういう弱みを不安にならずに委ねていられる場所が居場所なのではないか。 そう、無防備に尻をあずけても、カンチョ―されない、傷つけられない、そういう安心感によって、ぼくらの「いる」は可能になる。  ・デイケアで働きはじめたときに、「おれは治療者なんだ」と気負っているから「何かしなくては!」と意気込んでしまうんだけど、実際のところ本当の仕事は「やってもらう」ことなのだ。 だから「専門家でございます!」という武装を解除して、メンバーさんの親切をキャッチし、身を委ねられるようになると、スタッフになれる。 デイケアに普通にいられるようになる。 これは家庭でもそうだし、普通の職場でもそうだ。 全部自分でやろうとしないで、人にやってもらう。 お互いにそういうふうにしていると「いる」が可能になる。 「いる」とはお世話をしてもらうことに慣れること なのだ。

・「ケア」は傷つけない。ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで、安全を確保し、生存を可能にする。平衡を取り戻し、日常を支える。 ・「セラピー」は傷つきに向き合う。ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す。すると、人は非日常のなかで葛藤し、そして成長する。

「ただ、 いる、 だけ」。その価値を僕はうまく説明できない。会計係を論理的に納得させるように語ることができない。医療経済学者のようなことは僕にはできない。僕はありふれた心理士で「ただ、いる、だけ」を公共のために擁護する力がない。官僚に説明する力がない。僕は無力な臨床家なのだ。 だけど、僕はその価値を知っている。「ただ、いる、だけ」の価値と それを支えるケアの価値を知っている。僕は実際にそこにいたからだ。その風景を目撃し、その風景をたしかに生きたからだ。

医学書 医学・看護の領域で専門誌を発行。

「感情と看護」「ぺてるの家の非”援助”論」「ケアってなんだろう」「誤作動する脳」「居るのは辛いよ」。読みたい本〔病んだ家族、散乱した室内〕〔ALS不動の身体と息する器械〕〔こんなとき私はどうしてきたか〕〔介護するからだ〕〔在宅無限大〕〔坂口恭平躁鬱日記〕〔リハビリの夜〕「気持ちのいい看護」