二百10 ウクライナ

f:id:wakasan1214:20220226113338j:plainイライラ戦争 

イラン、イラクの両国間で、1980年から88年までの8年間にわたって行われた戦争。 発端は80年のイラクによるイラン侵略。 やがて戦局が逆転、82年以降はイランがイラク領土へと侵攻した。

写真は、当時の権力者 フセイン大統領の功績を称えるための記念碑です。イライラ戦争のさ中 イラクバグダッドに建設されました。 設計者の一員としてこの記念碑の建設に携わり、何度か出張しました。 と言っても簡単に入国できる状況になく、バグダッド空港が閉鎖されていたこともあり、隣国クウェートから陸路の移動です。土(砂)漠の中を直線的に延びる道路をひた走ります。 

出張は、毎回 数か月に及びました。 宿舎(キャンプ)の屋根には、イラン戦闘機からの機銃掃射に耐えられるよう厚い鉄板が敷き詰められていました。 幸い この鉄板が役立つコトはなかったのですが、建設中のドームの鉄骨組みに上がっていた職人さんが、頭上に飛来したファントム戦闘機の音に驚き、足を踏み外したコトが有りました。 建設中にフセイン大統領が視察に来ました。 来場前に自動小銃を構えた兵士がヘリコプターで先乗り込みし 周囲を警戒する中、現場で働く全員が一時的に建屋内に隔離されました。 

出張に先立ち 生命保険会社に問い合わせました。 保険の免責事項に ”戦争による死亡は免責”と 書かれてます。 もし万が一出張中 不幸にあった時 保険はおりるのか? 『出張先での戦争による死亡は、保険対象になります。 日本が戦争に巻き込まれ、国内が戦場になり、死亡した場合は免責されます。これは、保険対象者が計り知れない数になり 応じきれなくなることを避けるためです』とのコトでした。 安心して(変な安心ですが)出張に出ました。第二次世界大戦)戦後生まれの僕が経験した 唯一の戦争体験です。

TVのニュースで 地下シェルターに避難した女の子が 映し出されました。 『死にたくない 戦争をやめて欲しい』と 涙ながらに 訴えてました。 胸が痛くなりました。  

ボクの孫に被害が及ばなければ良い って 思います。 エゴかもしれません。 

でも 自国領土の保全と自国民の安全確保のためと称し 他国に武力を以て攻め入り 他国土を侵し 他国民の命を脅かすコトを 正当化するロシア大統領のエゴと 同じでしょうか?  69歳のロシア大統領 二人のお孫さんが居るそうです。 孫の顔は 思い浮かばないのでしょうか???

義父の生まれた育った島 択捉(エトロフ)島。 返還の一縷の望みも 断ち切られました。