戦争の記憶とASEAN
旧日本軍が占領したフィリピンは、日米の激戦地となり、多数の住民も犠牲になった。スービックからほど近いバターン半島は、捕虜となった米、比の軍人に多くの死者を出した「バターン死の行進」で知られる。博物館の職員カミル・メヒアさん(32)は「日本の若者もたまに来るが、モニュメントの写真だけ撮って帰って行く。未来のために過去を記憶することは大事だと思う」と語った。
日本は今、対中抑止を念頭にフィリピンとの連携強化を図っている。フィリピンも、南シナ海での中国の脅威を受け、軍事力の近代化を進めている。米軍が約30年前に撤退したスービック湾では、比海軍の基地利用が本格化している。日本の自衛隊も今後、スービックに駐留する比海軍との関係強化を図るのは確実だ。
フィリピンを含め、東南アジアには「親日国」が多い。しかし、各国とも程度の差はあれ、戦争に巻き込まれた経験を持つ。非常に親日的とされるタイでも、西部カンチャナブリでは、旧日本軍による「
過去の記憶が残る国々では、日本の安全保障政策への視線は複雑だ。
日本が昨年12月、防衛力強化に向けた「安保3文書」を策定した時、タイの公共放送PBSは「戦後を通じて東南アジアが親しんできた日本はもうこれまでと同じではない」とするコラムをウェブサイトに掲載した。筆者の著名ジャーナリストは「東南アジア諸国連合(ASEAN)は日本との付き合い方を考えなければならない」と指摘した。
日本とASEANは今年、友好協力50年を迎える。半世紀前の1970年代、各国にはまだ戦争の記憶が生々しく残り、日本の経済進出は「経済侵略」と厳しく批判された。それでも、事実上の戦後賠償の意味合いも伴って始まった政府開発援助(ODA)など、官民が謙虚に各国の国づくりに向き合ったことが、今につながっている。
国際秩序が揺れる今、ASEAN各国と新しい50年をどう育むかは日本にとって極めて重要となる。だからこそ、各国の過去の記憶を常に心に刻んでおくことも、忘れてはならない。 【忘れてはならない】。