二百3 老いる意味(うつ、勇気、夢)

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考え方を変えてみてはどうか。身体が老いても病を経験しても、心は老いてしまうわけではない。老いを恐れず、残さた日々を自然体でいること。良いことも悪いこともすべて過去の出来事として水に流す。今までのことはリセットして、ゼロから始まると考える。続編やエピローグのつもりでいるのではなく「新章」にすればいい。人間はいくつになっても、新しいことを始められる。少しだけの勇気があれば、夢は必ず叶うのである。

未来に目を向ければ、いまの自分が「いちばん若い」。過去と未来をつなぐ最先端が現在である。メリハリのない時間には最先端がない。未来と現在と過去が入り混じったカオスになっている。最先端にいることを意識したとき、問われるのは「過去を見るか、未来を見るか」である。過去に目を向ければ、いまの自分がいちばん年老いているが、未来に目を向ければ、いまの自分が「いちばん若い」のである。全く年齢には関係ない。最先端は「現在」という時間であり、そこには常にもっとも新しい自分がいる。常に人生途上の旅人である覚悟を持ちたい。無限の可能性に満ちた人生にしたいのである。

若い頃のようにはいかないことが増えているとしても、人生を充実させるためには、できるだけ健康な心と身体を保っておきたい。ただし、若い人のようにパーフェクトな健康を求める必要はない。歳をとってきたら「条件付き健康」で充分である。何かで補えるならそれでいい。そういう発想で健康を考えたほうがいい。

「気くばり」「心くばり」「目くばり」。空気が読めないと言われれるような人でも「相手がどう感じているか」「何を望んでいるか」を少し想像してみるだけで、ずいぶん変わってくるはずだ。どうすれば相手に喜ばれるかという発想を持つだけで、周囲の人たちとの関係性は良くなり、いつもいる場所の居心地が変わってくる。それだけでも残された人生の意味合いは違ったものになってくる。家庭における気くばりは、単純なやさしさや思いやりがあれば、それで成り立つ。

老いて重要なのは、何かをやり続けるようにして、張り合いをなくさないことである。日常を過ごしているうえで目標をなくさず、未知に挑戦して心もなくさないでいたい。この歳になって新しいことをするなんて考えられない、というような発想になってしまってはいけない。人間はいくつになっても、新しいことを始められる。自分で「終わり」を決めつけてしまわない限り、人は楽しく生きていける。(老人性うつ病認知症の傾向が見られる)森村誠一

「これは個人的な考え方です」と注釈を入れたい。 でも こんな思いを持って生きて行きたい。残された時間は 今まで生きてきた時間より あきらかに短いコトを意識しながら。 若林明