56.  古希+1 迷う道 

「毎日チェックしているブログが有る」。もう3日更新されてない。心配だけど何も出来ない。10年くらい前からの知人で ブログもその頃からチェックしていた。2か月ほど前に大変なコトが 起きて 余りに厳しい現実に なんて声かけしていいか 迷っているうちに 声かけの機会を逸してしまった。 今さら声かけ出来ない。ブログの更新を待つだけ。

TVドラマ「アンサング・シンデレラ」。「患者さんを最後まで看ることは大切 だけど これからの未来を看ることも同じか それ以上に大切なことだから!」。「鎮痛」と「鎮静」。 「短い命」のことに 通ずると感じた。

田中雅博。進行がんで亡くなった医師であり僧侶(享年70歳)。最後は医師でもある妻に意識が混濁する中「(鎮静)薬を下さい」「薬を下さい」と懇願。 多くの癌患者に寄り添った医師であっても 多くの人を看取り 見送った僧侶であっても、、、。(この方の運営する高齢者グループホームに見学に行ったことがあった。 その時はまだ「鎮静」の言葉を知らず その意識すらなかった)。

石飛幸三。特別養護老人ホーム医師 「平穏死」のすすめ。 有料老人ホームに勤務していた頃 思ったことが有る。(どんなに一生懸命に頑張って尽くしても 行き着く先は ”死” むなしく思っていた)(老人ホームは死に逝く人のお手伝い 生かそうと思い そして 努力した結果が ”死” むなしい)。 この本を読んで(死にゆく人の道 安らかに その道を歩んで行けるよう その入り口まで一緒に添うこと そのことの お手伝いだと 思えるようになって)気持ちが少し 和らいだ。 気がした。 胃瘻はしないと決めた!

いろいろ考えちゃう。自分がやろうとしていることの意味(なんぼのもんじゃ)。今 とっても中途半端 宙ぶらりん状態 【古希から傘寿への10年計画】なんて言っても 実が伴わない 具体的に何をヤルンダ そのことにどれほどのイミガアルンダ 。 今まで生きてきた時間より この先の時間の方が短いことは100(百)も承知 でも 老い先が短くても ”生きる””生きてる”ということにおいては 全く違いが無い これからの道を まだ 模索している。 ごちゃごちゃ ぐちゃぐちゃ から まだ 抜けられない。 

こんなことまでブログするのか して良いのか 公のものともいえるブログに 不快な事は書かないとした”戒め”にも反する とも思った。けど。「毎日チェックしているブログが有る」。この知人を思い 記す。