四百03 現実は・・・

 

オランダのぬいぐるみ(Made in China)ですが、その説明書きが多様です。

NLオランダ語、 EN英語、 FRフランス語、 DEドイツ語、 PLポーランド語、 CZチェコ語、 ITイタリア語、 SKスロバキア語、 ESスペイン語

なんとまぁこどものオモチャに九か国語もの説明が。 

街で行き交う人びとも どこの国の お人か?と思うこと しばしば。日本に居たらなかなか経験出来ないですね。 

言葉だけでなく 文化も習慣も異なる人たちが共存する社会、行き違いとか 仲違いにならないように知恵を働かせ なにより話し合いの意識を強く持たれているとのこと。 

多様性と言葉で言うのは簡単だけど、  その多様性の社会、海外で生活することの大変さは 住んでみて 改めて強く感じるようです。 僕は、数か月の滞在。 旅行者でもなく住んでいるわけでもなく 中途半端な理解しか出来ていません。 建設会社勤務時代に  何度か海外赴任じ生活゛して来ましたが 根を下ろしての゙生活゙ではなかったと  今さらながら思います。

今まで 若い人たちに海外に出ることを勧めてきたこと 少し反省してます。 でも、それでも、大変であろうことを 覚悟して 海外に出ることを 勧めたい。。 それだけのこと/価値/経験 きっとあります。

みんな頑張っで生活゛しています。 気持ちの応援しか出来ないけど  しっかり応援します。

四百01 おまけの一日

今日は、4年に一度の おまけの一日。

自分のために 普段読まない本を読みました。「後悔しない生き方」。  ゙スマボ一つ有ればなんでも出来る!人生を楽しめる!と言うホリエモンの゙常識゙には ついていけないけど、言っているコトは「シンプル」「ストレート」「説得力」に富み、瀧本哲史さんに背を押され、今度は 堀江貴文さんに尻を叩かれた 感じ!。

曰く【僕は なんのためにも 生きていない】「自分は なんのために 生きているのか」と問い続けても、明確な答えなど出てくるはずがない。僕は なんのためにも 生きていない。好きなことだけをして 生きているので、毎日がとても楽しい。あえて言うなら、いまのために 生きている と言うことになるだろう。若い人には なんのために 生きるのか と悩んで時間をムダにするのではなく、やりたいことを いますぐどんどんやってほしい。 別になんのためにも 生きる必要はない。このいまを全力で生きればいいのだ。やりたいことや面白いと感じることが現れたら 飛びつこう。学歴、職歴、資格、ノウハウ………そんなクソの役にも立たないものに 縛られてはいけない。 

序章:やるか やらないか。自分に才能があるかどうかは 実際にやらないとわからない、トライアンドエラーを繰り返せ、熱中ほど大切なものはない。 

第一章:一歩踏み出す力。他人と才能を比べて落ち込むのは無意味 比べるべき対象は 自分だ、ワクワクする人生を送りたいなら 何かを選ぶ決断をして それに没頭すること、やりたいことは“なる早”で実現しよう、あなたのことなど 誰も気にかけてはいない、考えすぎて行動しない人間が つねにチャンスを逃す。 

第2章:時間とお金の戦略_。あなたがなにかをするために必要なのは 死ぬまでの時間だけ、時間をムダにしたくなければ 生活の中の“惰性”をなくすこと、スマホを持っているならば もう“時間がないからできない”とは言えない、あなたがお金を稼ぐのは お金から自由になるため、タイム・イズ・ライフ。 

第3章:情報で勝つ仕事術。得た情報をもとにして 自分の脳を“思考”で埋めよ、自分の価値をギブ・アンド・ギブしよう、新しい出会いの場には 面倒でも必ず行くと“決める”、本当のコミュニケーションスキルとは “人が話しかけたくなる”スキルのこと、どんなことでも“できる”と確信すれば “やりたいこと”があふれ出てくる。 

第4章:グローバル時代を生き抜く。日本人が日本人というだけで得をする時代は もう来ない、どこにでも行ける時代に あなたはどこへ行くのだろうか?、本当の国境は 僕たちの頭の中にある。 

第5章:“いま”を変えるマインド。“いま ここ”に集中する、【僕は なんのためにも 生きていない】、本当にやりたいことを貫こう、“やりたい”か “やりたくない”か、挑戦と成功の間をつなぐのは 努力、得意か不得意か 失敗するかしないか それを判断する基準などない、人生は いつからでもリカバリーできる。

第6章:後悔しない人生。経験は経過した時間ではなく 自らが足を踏み出した数にかかっている、チャンスは 誰にでも平等に現れる、決断できなければ“このまま”変わらない人生を送るしかない、自分の力で立ち上がり “最初の一歩”を踏み出そう、人生は楽しむためにあり 仕事も楽しむためにある、あるがままに 自由に生きていい。。。

四百00 ミライの授業 / the flag

「ミライの授業~14歳のきみたちへ」。【80  生き方を追求する】で  日記しました瀧本哲史さんの本です。

「みなさんが若ものであること、そして新人であることは、大きな武器である」。常識に縛られた大人たちには考えつかないようなアイディアが、フットワークの衰えた大人たちとは比べものにならないような行動力が、そしてどんなにお金を積んでも買えない「時間」が みなさんにはあります。一方、みなさんには大きな弱点があります。それは「経験」の不足です。 

大人たちは、みなさんの経験不足を責めてくるでしょう。「そんなことできるわけないだろう」「夢みたいなこと言ってないで地に足をつけて考えなさい」。みなさんが、夢をかなえようとするとき、大人たちが応援するのは、自分の地位を脅かさない若者だけです。

そんなとき「賛成する人がほとんどいない。大切な真実はなんだろう?」と問い続ける。 逆風が吹き荒れても、周囲の大人たちがこぞって反対しても、怒られ、笑われても そこでくじけてはいけません。 あなたの「ミライ」は、逆風の向こうに待っているのです。

 

2016年、亡くなる3年前、中学生に向けて書かれた本ですが、僕らに対する示唆を感じたのです。

フットワークは確かに衰えた。 自分の常識にも拘泥する。 与えられた時間は 長くはない。 けど、自由に使える時間は、有り余ってる。そして何より、過ごしてきた時間と知識と経験と知恵という大きな武器が有る。

僕も「賛成する人がほとんどいない。大切な真実はなんだろう?」と問い続けようと 思う。 【怯まず 怖じ気づかず】

 

the flag

 

主要な結果

 
ただ 若かったから それだけのことかなあの頃 僕らは 傷つけ合っていた 
汚れなき想いと 譲れない誇りと迷いのない心は どこへ行ったんだろう
あの時掲げた 僕らの旗だけが今も揺れている 時の風の中で
それからの 僕らに 何があったんだろう変わってしまったのは 僕らの方なんだ自由な翼を 僕らは たたんで二度と そこから 飛び立つことはなかった
やがていつの日か この国のすべてを僕らが この手で 変えてゆくんだったよね僕らが この手で すべてを
ここから 行くべき その道は どこかともできるなら もう一度 捜さないか戦える 僕らの武器は 今 何かとそれを見つけて ここへ並ばないか
僕は 諦めない  誰か 聞いて いるか僕は ここにいる 誰か そばに いるかやがていつの日か この国のすべてを僕らが この手で 変えてゆくんだったよね
あの時掲げた 僕らの旗だけが一人揺れている 時の風の中で

 

 

三百99 無名 沢木耕太郎

死の1週間前、父は鼻から入れられていたストマックチューブを自分で抜いてしまった。「そんなことをしちゃ、だめじゃない!」  父は静かな口調で「もういいんだよ」。ところが、以外にもストマックチューブを抜いてしまったことが幸いして、口から食事が出来るようになった。そして、驚くほどの勢いで回復していった。少なくとも、回復しているように見えた。

最後の日、朝食にカボチャの煮物を出した。父はテレビを見ながら、その大きなかたまりを箸でつまむと、まさに「パクッ」というようにひとくちで食べてしまった。  あっ、と思った。喉につかえてしまうのではないか。そして父は、それからしばらくして、ふっと死んだ。 もしかしたら、父はわざと大きいカボチャのかたまりを口にしたのではないか。その日、ヘルパーが来ると知って、もうこのあたりでおしまいにしようと思ったのではないか。潔いところのある人だったから、自分で潮時を決めてしまったのではないか。

それにしてもなんと程のよい死だろう。母にいざというときの心構えをさせ、子どもたちにほどほどの孝行をさせ、これ以上看護が続くと少々つらくなるかなという、まさにそのときに逝ってしまった。それも、死ぬ寸前まで、よくなりそうだという希望を抱かせたまま……。 それはそのとおりだと私にも思えた。父の死に際して、思い残すことはほとんどない。そして、これ以上は、これまでと同じような気持ちで看護はできないかもしれないという、まさにそのような時期にふっと死んでいった。程のよい死、だった。 

わたしたちはよくなっているように思っていたけど、院長先生にはもうだめだということはわかっていらしたかもしれない。

一合の酒と一冊の本があれば、それが最高の贅沢。そんな父が、ある夏の終わりに脳の出血のため入院した。混濁してゆく意識、在宅看護。病床の父を見守りながら、息子は無数の記憶を掘り起こし、その無名の人生の軌跡を辿る。

ーーー生きて死ぬことの厳粛な営みーーー。

 

僕は 父とのこと  記憶 ほとんど無い。 遊んでもらったことも 叱られたことも 二人で酒を酌み交わしたことも 。。  戦時中に住んだ思い出の地  大連を 一緒に訪ねることも叶わなかった。 僕がバンコク赴任中に逝った。会えなかった。「合掌」

三百98 一日晴れ

朝9時

午後2時

夕方5時半

薄雲がはってて  日差しは弱かった🌤けど  一日晴れ(こっちに来て1週間、毎日曇りに冷たい雨だったので、はじめて見るお日さまでした)

ユトレヒトの日の出08:03~日の入り17:43

東京の日の出06:33~日の入り17:18

三百97 ボランティアの本質・意義

【ボランティアの本質  意義】。少し長いですが転記させて頂きます。

週末にHIVの病院でボランティアしている企業の弁護士。「ボランティアは ダイレクトに誰かの役に立てる。 企業の弁護士は、企業の役に立つけど 人の役に立つとは限らない。 書類やコンピューターを相手にして仕事をしていると人間を相手にした仕事がしたくなるんだ。 人間の仕事というか 人間にしかできない仕事がね。 人間をケアする行為は、人間でない者には ロボットには できないんだ。 ケアというのは ケアする方とされる方、双方の人間がいてポジティブな精神的電波が生まれる。病院室を回るとき 僕たちはそこにいる人々に声をかけるよね。 相手から答えが返ってきたら嬉しくなるときがないかい? ああいう嬉しい気持ちは 僕がしている仕事では味わうことが出来ないんだ」。 と 彼らは言った。

私が思うに《彼らは ものすごくボッシュ(上流階級)だった。 明日の生活の心配などまったくしなくていい 見るからに裕福で高学歴の人々。彼らの言葉に「鼻持ちならなさ」も感じとれる。 本当にすべき仕事だと思うなら それを生業にしてみればいいではないか。 自分たちは高収入の仕事を持って 何不自由ない暮らしをしていながら 時々お遊び程度に末端ケアの仕事をやってみる、そして 『人間が本当にすべきなのはこういう仕事』とか言って 高級レストランで遠い目をして感慨に浸っているんだ》

そして、私自身が ボランティアを通じて思ったのは《あの病棟で感じた嬉しさは、たとえるなら 自分が投げたボールを誰かがまっすぐに投げ返してくれたときのものだ。 それだけのことなのに その瞬間が際だって特別な気持ちになるんだ。弁護士や投資家は、誰かに 直接ボールを投げることなんてない。 間に人が入って中継ぎされるのが常識なのかもしれない。 それは相手からボールが戻ってくるときにしても同じことで、すぐには帰ってこないだろうし 方向だって微妙にずれたボールを投げ返すのが常識なのかもしれない。 まっすぐ相手に投げ返すのはバカっぽいし 無防備だから。 HIV病棟は、究極に無防備な場所だった。 なにしろ本当にどんどん人が亡くなっていくのだ。 泣いている人、怖がっている人、悟りを開いた人、やけになっている人、どうしたらいいか分からなくなっている人。 無防備きわまりない状況にある人々と働く現場では、気取る必要も 自分を強く見せたり賢く見せたりする必要もない。 そんな場所では 率直な言葉が発され まっすぐに飛び交う。 人から言われたことがストレートに嬉しく感じるのは、その言葉を信用できるときだ。 無防備な現場で発される言葉は信用できるし  人を無防備なぐらい嬉しい心情にさせるのだ》。 

僕は、ボランティアって 自分に余裕がないとできないと思っている。 でも、そこから得られるものは とっても大きくて、 自分にとっても とっても大きな糧になる。 そこでせめぎあっている。 ボランティアの意義を。 いまも 考えている ずっと考えている。