百10. 誤作動する脳-2

ブログ71.「誤作動する脳」の続き レビー小体型認知症について です。

樋口直美(著者)41歳の時 うつ病と診断され 誤った治療を受けたことで 症状が悪化した。その後 50歳の時「レビー小体型認知症」と改めて 診断された。・脳の萎縮は軽く 記憶障害は軽度のコトが多い。

認知症と言うラベルが付くと、何を言っても何をしても、全て「認知症の症状」、あらゆる困りごとは「認知症だから」「認知症で理解力や判断力が低下したから」の一言で片づけられた。診断されたばかりの本人には、その一方的な説明に反論する知識が有りません。 ・病気のことも幻視のことも 家族や友人にすら話せない。当時は絶望的な情報しかなく病気のことを伝えれば、ただ悲しませ 苦しめることにしかならなかった。 私は経験したことのない孤独のなかにいた。

【幻視】「目の前にある現実」と信じている世界も、目からの情報を脳がさまざまに選択したり補ったりして再構成した映像にすぎない。夢も現実も「脳が見ている」という点では変わりない。私の幻視も、脳が作り出している「現実」です。現実と夢と幻。そこには、本当も嘘も、正しいも間違っているもないでしょう。

【記憶障害】と「忘れた」とは違う。「忘れた」のではなく、その「時間」が存在してないのです。映画のフィルムの一部分を切り取ってしまったように。 何度も言えば忘れない、本人が努力すれば忘れない、叱咤激励すれば思い出す ということはないのです。 ・日々繰り返したとんでもない失敗と職場での叱責、体調のどうしようもない悪さのなか、自分がいつ何をするか分からない不安・・・。どんなに情けなくみじめでも、それも「私」ですから、この私が消えない限りはなくならないように思います。 ・「正しさ」を求められる限り、私たちの苦手意識はどんどん強くなり、調理はどこまでも嫌いになり、台所はトラウマ製作所になります。 もっと自由に、もっといい加減に・。それをお互いに許し合えれば、台所に笑顔が戻ると思うのです。

【若年性認知症丹野智文さん 「何でも忘れるわけではないのですが、自分でコーヒーを淹れたことを忘れて」奥さんに礼を言った。「いいよ~。・・・・・でも、淹れたのはあなたなんだけどねぇ」奥さんが 無邪気に笑いながら言うので、丹野さんも笑顔になれたと。  

【思い】自分の弱みを隠して「できる」ことばかりを強調することで、私には困りごとはないと誤解されていきました。「できる」と「できない」の二つの極のあいだに無数のバリエーションがあることは、あまり知られてこなかった。人前ではシャキッとしていようと努め、ぼろ雑巾なような姿は誰にも見せてはいないつもりでした。 ・私はすっかり無能になり、使い物にはならず、社会からまったく必要とされない人間になったのだと思いました。泣くでもなく 笑うでもなく 何をするでもなく、それでも毎日は どこかに流れていくようでした。 私はこのまま何の役にも立たずに、ただ年老いていって死ぬんだな・・・・。