62. 母に送った電報

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山梨県富士西湖根場(ねんば) 昭和41年9月25日未明 台風26号の山津波が襲った。人口235名の集落で63名もの命が失われた。 8/12日記した友人を含めた5人、高校の中間テスト休み(+1日無断欠席)を利用して 自転車で富士西湖YH(ユースホステル)に向け 埼玉県大宮を夕方出発。ほぼ丸一日かけて 雨が降る真っ暗ななか YHに着いた。 翌日未明 建築を学ぶ僕ら 目にするはずだった そして 泊まるの予定だった 置き千木の茅葺屋根の美しい民家は 土石流に埋まり跡形も無かった。30人ほどのYH宿泊者、夜が明けてから 男子は救助に 女子は握り飯作りを手伝った。 水量は少ないが 水の流れがそこここに 至る所に巨石と倒木 小高いところで牛が鳴き 犬が走り回っていた。 どこが道か分からない 泥水のなか ひざまでずぶずぶと 這いずるように歩いた。 訳も分からず 目の前の民家 屋根の萱を 何十センチもの厚みのある萱を 手でむしった。 無我夢中だった。 人がやっと抜け出せるくらいの穴が開き 見下すと 胸まで泥水に浸かった人が 女の人だったように思う。 その後 どのように助け出したか 覚えてない。 昼近くになって 一旦YHに戻った。再度 助け出しに行けば もしかしたら・・・と 重い気持ちになっていたとき 自衛隊が来た。自衛隊が来てくれた。心底ほっとした。 

「ブジ コンヤモトマル」 母は 僕は「すでに死んだ」と思っていた。この電報を手にするまでは。 その時のYHのペアレントさんに 僕らの結婚の 仲人さんをお願いした。 今は 根場のお父さんお母さん。 毎年 同じような災害が繰り返されている。こころ痛む 亡くなった方々のご冥福を祈ります。 【母が亡くなる3年前の出来事】