60. 母

f:id:wakasan1214:20200914214345j:plain 武甲山 ふるさとの山

「母の遺言」

小さな手帳に書き綴った手記。 【今日を境に私の人生が・・・・しまった】と 書き出している。 母が亡くなって 少しして 手記に気づき 読んだ。 今 50余年を経て 改めて読む。 

50年前の医療は 今ほどではなかったのかもしれない。 病気になった自らを責め 抗がん剤治療の苦しさ 後遺症の痛みに耐え 家族に迷惑をかけまいと必死にこらえ こらえきれず 再発を恐れ もがき 苦しんでいた。 どんな思いでこれを書いたのか 50年前 この手帳に触れた母の手に 添えるように僕の手を重ねてみた。 言いようもなく 切ない。 気づかなかった。 気づこうともしなかった。 大切な人の 本当に辛い時に 寄り添なかった。 8/13日記に 「癌の告知を受け入れる心構えは出来ている」。 頭でっかちな 言葉だけの覚悟でしかなかったコトに気づかされた。 本当の辛さが分からない 分からずして 癌の告知を受け入れる なんて 言ってた。

一編の詩がある。 これを書き記したいと思う気持ちと これを書いたときの母の気持ちを思うと そうすべきではないと思う気持ちが 交錯  迷った 。 ふと 感じた これは ボクへの 「母の遺言」! 

 

  昭和四十二  八月二日(手術の2か月後)

自分には自分に与えられた道がある 天与の尊い道がある どんな道かは知らないが ほかの人には歩めない 自分だけしか歩めない 二度と歩めぬ かけがえのないこの道 広い時もある 狭い時もある のぼりもあればくだりもある 坦々としたときもあれば かきわけかきわけ汗する時もある この道がよいのか悪いのか 思案にあまる時もあろう。 なぐさめを求めたくなる時もあろう しかし しょせんは この道しかないのではないか あきらめろと云うのではない 今立っているこの道。 いま歩んでいるこの道 ともかくも この道を休まず歩むことである 自分だけしか歩めない大事な道ではないか 他人の道に心をうばわれ 思案にくれて 立ちすくんでいても 道はすこしもひらけない 道をひらくためには まず 歩まねばならない こころを定め 懸命に歩まねばならぬ それが たとえ 遠い道のように思えても 休まず歩む姿からは 必ず 新たな道がひらけてくる 深い喜びも生まれてくる 

 

つくづく思う。 僕は ひとに対して モノを言えるようなものではない。 僕は ひとに対して モノを言えるような者ではないけど 母に対し 怠ったコト やらなかったたコトを 気付かなかったコトを。 気付かせてくれた母を思い これから先 まだ もう少し 歩みつづけよう 僕の道を。 「母の遺言」のように。 この思いは 母から託されたものとして 今 目の前にいる人に きちんと 真っ正面から 向き合う。 背を押す と言うより 尻を蹴っ飛ばした 僕の おかあちゃん。。。 会いたいなぁ 

前のブログから10日が過ぎた。 なんで こんなコトを書くのかなぁ 特に このブログは。 ブログにする意味を探した 探しあぐねて 更新出来なかった。 ブログの初期に「始めた動機と戒め」を書いた。 その後 ぐちゃぐちゃと書いて 段々 書く意味が見えなくなってきていた。 改めて これは 誰のためでもない 自分のため。 自問自答 書くコトで自分の考えを整理し 自分に言い聞かせるように。 母が指し示してくれた このコトを この道を どうしても書き記しておきたい。 と思った。。

 

毎日チェックしているブログが有る」 知人のブログ

快方に向かって ご夫婦が 一緒に 前を向いて 歩いている と 更新が有った。