35. 留め置くべきコト

発達障害に生まれて」

『なんで僕の人生はこんなに辛いんだ。生きていて楽しいなんて思ったことは一度もない』って子供に詰め寄られた。健常者の視点でしか我が子の世界を見ることが出来ず、それに応えられなかった。結果 子供を追い込み、二次障害に、、、そして精神科病院入院。(文中の一節から)

この本は「松永クリニック小児科・小児外科」院長でもあり「運命の子 トリソミー」の作者でもある松永正訓医師が 17歳の少年の母の話を聞き書きしたもの。 2歳4か月の時に発達障害と診断され その後の成長の記録でもあり 発達障害の子に向き合う姿が描かれている。 

この本には 色々な事が書かれている。なのに 僕は ”子供の障害を受け容れることが出来ない親の存在 そして「二次障害」” の言葉だけしか読み取らなかった。小賢しくも批判的な思いとともに。 このことをお話した方から「運命の子」を紹介された。 読んで 言いようのない深い思いを感じた。

運命の子 トリソミー」

(はじめに から)染色体異常を持った多発奇形の赤ちゃんが生まれたとする。目も見えず、耳も聞こえず、ミルクを飲むことも出来ない。脳の発育は胎児期に停止している。無呼吸発作を繰り返し、いつ命が果てるかわからない。こういった赤ちゃんを授かった時、私たちはどうするだろうか。

(あとがき から)私には、障害を受容することは両親にとってかなり難しいだろう、障碍の重さを考えれば数か月の時間の向こうには 命は存在していない可能性が高いという思い込みが有った。だが、13トリソミーという障害に対して最も偏見を抱いているのは、医者たる自分自身なのではないかと疑い始めた。「見た目」の奇形を理由に、命に関わる先天奇形の手術を拒否する親との激しい軋轢もあった。「生まれてきた命は、誰かの所有物ではない。親のものではなく、赤ちゃん自身のものだ」。そんなありきたりの言葉に心が動かされて、重度の障害を有する子どもを親は受け容れることが出来るだろうか? 私はその問いに対する答えを持っていないことに気が付いた。両親に話を伺いながら落涙しそうになった。そんな自分を医者として甘い姿勢だと感じたが、澄んだ心で 自分は患者家族に学べばいいと思い直した。     僕の心にも留め置く。