32. 私は専門家です のに。

読売新聞 編集手帳 2020.7.1

詩人の川崎洋さんは17歳の次女から詩作を頼まれたことがある。半年のうちに両親を相次いで亡くした友だちに贈りたいからと◆悩んだすえ一緒に悲しむしかないと腹をくくり、書いた。一節を引く。<一日を我慢して 二日目を我慢してください/それが三日になり一か月になり/やがて一年になります/そして五年がたちます/そのとき/きっと今とはちがいます/ですから/今を我慢してください>(『ことばの力』岩波ジュニア新書)(記事の後半は割愛しました)

このような場で書くには重すぎるコト ”いのち”

上の記事は 新型ウイルスにより多くの方が亡くなっているコトに寄せた記事。 「運 命 の 子 トリソミー」でも ”短いいのち”のコトが書かれている。 あまりにも重すぎる 相模原事件のコト。 毎年繰り返される(自然)災害により亡くなる ”いのち”。今日も球磨川の氾濫により 老人ホームでのコトが報じられている。 介護に携わっていて 向き合う事を求められるコト。 もうすぐ 僕の大好きだった同期の彼の4度目の命日 今年は 家で 手を合わせます。 「合掌」

介護の相談をお受けしていて 

自分の経験知見を振り絞って この先どのような介護が必要になっていくか などを ”先読み”して お話 しております。 その人のために と。。(私は専門家です から)。  先日 「 日常的に介護に当たっているご家族さまには 誠に申し訳ないのですが 安心して頂けるようなお話を差し上げることが出来ません 」と 相談下さった方に 頭を下げました 申し訳なく思いました。 私は専門家です のに。 少し気付いたのは “先読み”することが 必ずしも必要なことではなく コトが起きた時 その時に 穏やかな気持ちで寄り添えること なのではないか    言葉はなくとも    と    思いました。。。